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生存報告的ななにか
とりあえず、現在のバックオーダーが
80愚者
100カッツ×2
というわけで、生産しかほぼしてませんギニャー
ときどきリマとかカラカスの納品でおんもに出たりするぐらいで、なんかこう、資産の時価総額は日々増えてるのに現金は減るというアンニュイな事態に。
そういえば、今度は一度納品についてのやり方とかを記事にしよっかなーとか考えております。
カラカスとリマ限定ですが
とりあえず数稼ぎたい人は、カラカスで延々木材削るか、テルナーテにフレイヤ投げ込むとイイヨ
80愚者
100カッツ×2
というわけで、生産しかほぼしてませんギニャー
ときどきリマとかカラカスの納品でおんもに出たりするぐらいで、なんかこう、資産の時価総額は日々増えてるのに現金は減るというアンニュイな事態に。
そういえば、今度は一度納品についてのやり方とかを記事にしよっかなーとか考えております。
カラカスとリマ限定ですが
とりあえず数稼ぎたい人は、カラカスで延々木材削るか、テルナーテにフレイヤ投げ込むとイイヨ
今週の交易座談会のお知らせ(9/19 19:00〜
えー、この前の集会でも宣伝させていただいた、交易座談会ですが。
今回は、9/19 19:00〜で、ヴェネツィア酒場集合でやりたいと思います。
今回のお題目としては
・カラカス生産と納品の仕組みとやりかた(30分弱の予定
・南米東岸勅命をやりつつ、カラカスかマラカイボで金か宝石を積んで帰る。
というプランで考えております。
お土産としては、ウォードとガラス細工あたりで軽めにして、可能な方は二周行く感じでどうかな、と思っております、よろしければお誘いあわせの上ご参加頂けると幸いです。
宣伝用テンプレ
/nshout 9/19(土) 19時より、ヴェネツィア酒場にて、ヴェネっこ交易座談会が開かれます〜。今回は、カラカスの生産や納品について&交易ツアーを行う予定です、可能な方はお気軽にご参加下さい〜♪
今回は、9/19 19:00〜で、ヴェネツィア酒場集合でやりたいと思います。
今回のお題目としては
・カラカス生産と納品の仕組みとやりかた(30分弱の予定
・南米東岸勅命をやりつつ、カラカスかマラカイボで金か宝石を積んで帰る。
というプランで考えております。
お土産としては、ウォードとガラス細工あたりで軽めにして、可能な方は二周行く感じでどうかな、と思っております、よろしければお誘いあわせの上ご参加頂けると幸いです。
宣伝用テンプレ
/nshout 9/19(土) 19時より、ヴェネツィア酒場にて、ヴェネっこ交易座談会が開かれます〜。今回は、カラカスの生産や納品について&交易ツアーを行う予定です、可能な方はお気軽にご参加下さい〜♪
個人の海と国の海:東アジアの特異性
前回のエントリでは、東アジアの海が欧州人にとって「それまでの世界とは違う」という点を最後にふれましたが、今回はその続きを。
先ず、現代に生きる私たちにとって想像しがたい点ではありますが、インド亜大陸や東南アジアで、西欧人が食い込んでくるまでの間、DOLでいうカリカットやディブ、インド東岸の港湾都市などの所有者は、当時のインド帝国たるムガール帝国ではありませんでした。
では誰がというならば、イメージとしてはそれぞれの港湾都市は古代ギリシャのような「都市国家」というものであったと表現するほうがしっくりくる存在であったようです。
当時のインド洋は、あくまで私貿易を主とする世界であり、内陸を治める大帝国は港湾都市を支配し、物流と貿易を管理し、税を徴収するような世界ではありませんでした。
関わりとすれば、そこからもたらされる物が内陸部に入る時点で課税し、税収を得ていたぐらいであったようです。
従って、西欧人が来るまでのインド洋世界は、各都市に拠点を持つ商人のコミュニティが互いに競い合って自由に物流を担っている、比較的牧歌的な世界であったと言えるのでしょう。
だが、それゆえに、限定的ではあっても強力な武装と暴力を是とする、彼らから見れば海賊集団(つまりヴァスコ・ダ・ガマなどの西欧人)が、彼らの流儀に従ってこの海を管理し、自分達の懐に納めようとする行動に対して、有効な対策が取られなかったのかもしれません。
そのような世界を踏み越えて、西欧人は東インドに到達しますが、そこではある程度彼らの考えに似た「国の海」が既に出来上がりつつありました。
その舞台に登場するのは、明帝国と戦国まっただなかの日本。
明帝国は、既に海禁策を取っており、単純に船を港につければ商売ができる、というような土地ではありませんでした。
そして明帝国は西欧人が「朝貢貿易」という、明帝国からみた世界観の外にあるものであるとし、彼らとの公的な貿易関係を拒絶します。
そしてその世界観の中に取り入ろうとする努力は、それまでのインドなどでは通用していた「港湾都市の武力制圧」という事を幾度か試みては、明帝国にたたき出されという、要は武力衝突を起こしたために不可能なものになっていました。
しかし、西欧人は当時の中国から生み出される陶磁器や生糸などは喉から手が出るほど欲しいものだったに違いありません、先ずはマカオなどを拠点とする密貿易を通して事態の打開を図ります。
そして、そのためには「中国に持ち込む商品」が必要になります
一方的に中国から物を運び出せば、自分達の国から通貨としての貴金属が果てしなく吸い出されてしまいますから。
そのような時代に、日本では石見銀山が発見され、同時に朝鮮半島から渡来した灰吹き法という精錬技術が日本へともたらされることになり、莫大な銀が日本で生み出されるようになります。
そして、当時の明帝国は、国境での異民族対策の為に、通貨としての銀の需要が拡大していました。
需要と供給があるならば、幾ら法で規制しても、物の流れが生まれるのは今も昔も同じ。
西欧人はそのような日中間の密貿易に乗っかる形で、東アジアの海に食い込むことに成功します。
そして、ポルトガルはマカオを明帝国から借り受け、オランダは紆余曲折の果てに日本の平戸に拠点を置きます。
その貿易利益たるや、最盛期はオランダ東会社全体の総利益の七割が、この日中間で生み出されていたというから驚きです。
そりゃ、どれだけ邪険に扱われても、なんとか日本の足場を維持しようとオランダが低姿勢にもなるわって訳で。
そのような理由から、東アジアの海では「現地政権に様々な形で服従しながらも」、強かに西欧人は活動を拡大していくことになります。
次回は、日本の豊臣政権の成立と、それによる東アジア交易の変化を書こうかなー、と思案中。
先ず、現代に生きる私たちにとって想像しがたい点ではありますが、インド亜大陸や東南アジアで、西欧人が食い込んでくるまでの間、DOLでいうカリカットやディブ、インド東岸の港湾都市などの所有者は、当時のインド帝国たるムガール帝国ではありませんでした。
では誰がというならば、イメージとしてはそれぞれの港湾都市は古代ギリシャのような「都市国家」というものであったと表現するほうがしっくりくる存在であったようです。
当時のインド洋は、あくまで私貿易を主とする世界であり、内陸を治める大帝国は港湾都市を支配し、物流と貿易を管理し、税を徴収するような世界ではありませんでした。
関わりとすれば、そこからもたらされる物が内陸部に入る時点で課税し、税収を得ていたぐらいであったようです。
従って、西欧人が来るまでのインド洋世界は、各都市に拠点を持つ商人のコミュニティが互いに競い合って自由に物流を担っている、比較的牧歌的な世界であったと言えるのでしょう。
だが、それゆえに、限定的ではあっても強力な武装と暴力を是とする、彼らから見れば海賊集団(つまりヴァスコ・ダ・ガマなどの西欧人)が、彼らの流儀に従ってこの海を管理し、自分達の懐に納めようとする行動に対して、有効な対策が取られなかったのかもしれません。
そのような世界を踏み越えて、西欧人は東インドに到達しますが、そこではある程度彼らの考えに似た「国の海」が既に出来上がりつつありました。
その舞台に登場するのは、明帝国と戦国まっただなかの日本。
明帝国は、既に海禁策を取っており、単純に船を港につければ商売ができる、というような土地ではありませんでした。
そして明帝国は西欧人が「朝貢貿易」という、明帝国からみた世界観の外にあるものであるとし、彼らとの公的な貿易関係を拒絶します。
そしてその世界観の中に取り入ろうとする努力は、それまでのインドなどでは通用していた「港湾都市の武力制圧」という事を幾度か試みては、明帝国にたたき出されという、要は武力衝突を起こしたために不可能なものになっていました。
しかし、西欧人は当時の中国から生み出される陶磁器や生糸などは喉から手が出るほど欲しいものだったに違いありません、先ずはマカオなどを拠点とする密貿易を通して事態の打開を図ります。
そして、そのためには「中国に持ち込む商品」が必要になります
一方的に中国から物を運び出せば、自分達の国から通貨としての貴金属が果てしなく吸い出されてしまいますから。
そのような時代に、日本では石見銀山が発見され、同時に朝鮮半島から渡来した灰吹き法という精錬技術が日本へともたらされることになり、莫大な銀が日本で生み出されるようになります。
そして、当時の明帝国は、国境での異民族対策の為に、通貨としての銀の需要が拡大していました。
需要と供給があるならば、幾ら法で規制しても、物の流れが生まれるのは今も昔も同じ。
西欧人はそのような日中間の密貿易に乗っかる形で、東アジアの海に食い込むことに成功します。
そして、ポルトガルはマカオを明帝国から借り受け、オランダは紆余曲折の果てに日本の平戸に拠点を置きます。
その貿易利益たるや、最盛期はオランダ東会社全体の総利益の七割が、この日中間で生み出されていたというから驚きです。
そりゃ、どれだけ邪険に扱われても、なんとか日本の足場を維持しようとオランダが低姿勢にもなるわって訳で。
そのような理由から、東アジアの海では「現地政権に様々な形で服従しながらも」、強かに西欧人は活動を拡大していくことになります。
次回は、日本の豊臣政権の成立と、それによる東アジア交易の変化を書こうかなー、と思案中。





